企画②シノノメ ロングインタビュー


2022年3月「超オモロ食堂®四号店」での優勝を記念して、シリーズ常連であるシノノメのこれまで語られることのなかった真実に迫ります。(取材日:2022年4月某日 聞き手:ししどっち)

 -まずそれぞれの生い立ちを教えてください。

 

伊藤(以下、伊)「全然活発ではなく、すごく内気で人見知りする子供でした。3~4歳の頃、祖母と公園に遊びに行ったら目を離した隙に知らない子に砂場道具を使われていて、『返して』と言えない自分に腹が立ったのか突然砂場の砂を食べ始めたらしいです。」

 

-今の社交的なキャラからは想像もつきませんね。また伊藤君といえばパーマ頭が特徴的ですがこれは生まれつき?

 

伊「はい、天パです。子供の頃はもっとすごくて、周りから『クルクル頭』とイジられるのが嫌で。母親が幼稚園の先生に相談してくれたおかげでなくなりましたけど。」

 

-幼少期のコンプレックスを今はオシャレ要素のひとつに昇華しているのはさすがですね。芸人としての目覚めは?

 

伊「小学校4年生の頃、クラスのお楽しみ会で5人で刑事コントをやったのがきっかけです。」

 

-いきなり集団コントだなんてハイレベルですね。

 

伊「コントという言葉も当時は知らなかったんですけどね。そのネタがすごくウケて、人を楽しませる快感を知りました。5年生になってからも新ネタを披露し続けて、徐々にクラスで面白い奴のポジションを確立していきました。6年生の時は学級委員長にもなりましたし。5人で始めたコントグループも参加希望者が殺到して、最後の方はクラスのほとんどが参加していましたね。観客の方が少ないっていう(笑)。」

 

-上り詰めましたね(笑)。中学校でもそのポジションのまま?

 

伊「中学では同学年の3分の2が別の小学校出身だったので、人見知りが復活してしまいました。密かにボケるタイミングは常に伺っていましたけど。この頃からバラエティ番組をよく観るようになって。特に『内村プロデュース』が大好きで、TIMのレッド吉田さんのフレーズにハマって毎週生徒手帳にメモして同級生と共有していました。」

 

-ついに心の師匠に出逢えたんですね。

 

伊「影響を受けたといえばお笑い好きの幼なじみHの存在も大きかったです。明るい奴ではないんですけど独特なシュールさで小学校時代からクラス一面白いと言われていて。そいつといつも遊んでいたので笑いのセンスが鍛えられたと思います。」

 

-身近にも刺激を与えてくれる人がいて恵まれていた時期ですね。そして高校入学。

 

伊「高校ではもっと弾けたいと思い、入学直後の自己紹介からボケていました。休み時間に即興でショートコントをしたり先生のモノマネをしたり。3年生の文化祭でやった『パイレーツ・オブ・カリビアン』のパロディ劇では主役をやりました。いわゆるクラスのセンターではありませんでしたが、まあまあ面白い奴ぐらいのポジションだったと思います。」

 

-主役を任されるぐらいだから人気者だったんでしょうね。部活動は?

 

伊「ハンドボール部に所属していました。そこでも部員の前でネタを披露したり、みんなでイロモネアごっこをしたり。3年生の時、部活の同期と後輩と3人で高校生版のM-1グランプリのような大会にエントリーして、地区予選で準優勝を獲りました。」

 

-部活がきっかけでついに公の場に出たんですね!しかも準優勝!

 

伊「まあ準優勝というのは自称なんですけど。結果発表は優勝者のみでしたが、ネタもすごくウケましたし、審査員からのコメントの質が優勝したコンビとうちのトリオだけ違ったので。結果を聞くまで優勝する自信があったのは確かです。」

 

-僅差で優勝を逃して残念でしたね。この時の挫折がプロを目指すきっかけに?

 

伊藤「それ以前も芸人になりたいという気持ちはありましたが、実際にステージでネタを披露して『俺、面白いんじゃないか』と確信できたのはこの大会のおかげです。でも親はあまり乗り気ではなく、なぜかテレビ局などの裏方を勧められました。」

 

-芸能界に関わること自体は認めてくださったんですね。そのあと受験を経て、いよいよ大学進学ですね。

 

伊「元々入学予定だった私大があったのですが、結局親の勧めで受けた国立大に行くことになりました。」

 

-学費の面で親孝行できたんですね。

 

伊「ただ一人暮らしを始めた途端にだらけた生活になってしまって。パチンコも覚えて徐々に学校に行かなくなって単位が取れなくて4年目に中退してしまいました。一応卒業式には出席したんですけど。」

 

-いや意味ないから!(笑)

 

伊「でもお笑いをやりたいという気持ちは失っていなかったので、実家に戻って親を説得して、養成所の費用を自己負担するため一年間貯金をして上京しました。」

 

-強い意志を携えての上京。そしてその養成所で運命のあの人に出逢えたんですね。

 

ミヤンス(以下、ミ)「僕はヤンチャな子供でしたね。(眉間を指さしながら)この傷は赤ん坊の頃にハイハイで壺に激突した時にできたらしいです。」

 

-それはなかなかアグレッシブですね(汗)。東京出身ということですが生まれてから今までずっと東京在住?

 

ミ「幼稚園の年長から小学校4年生までの5年間、親の仕事の都合で大阪に住んでいました。ほとんど記憶にありませんが。その後はずっと東京です。」

 

-芸名の「ミヤンス」の由来は?

 

ミ「小学校5年生の時、下校中に石か何かにつまづいて転んだ拍子になぜか『痛いでヤンス』って言っちゃったんです。その翌日から同級生から『ヤンス』と呼ばれるようになって。」

 

-同級生からのイジりが元になっていたんですね。

 

ミ「その頃から自分がイジられて周りが笑ってくれることに快感を覚えるようになりました。中学時代、自分の筆箱に『〇〇で待ってます』と書かれた手紙が入っていて、女子が告白してくるのかとワクワクしながら待ち合わせ場所に行ったら実は同級生数人が仕掛けたドッキリだったこともあって。腹は立ったし泣きましたが心のどこかでは喜んでいましたね。」

 

-心の広いミヤンスならではのエピソードですね。高校時代はどうでしたか?

 

ミ「お笑い好きの友人に恵まれて、よく授業中に大喜利をやったりしていました。芸能界を意識し始めたのは、その頃50人くらいの芸人を起用したヘアワックスのCMを観てからです。それまでは芸人の名前もロクに覚えていないくらいの関心度でしたが、携帯電話のワンセグでCMを録画してデータをコレクションするくらいハマりました。」

 

-ワンセグ懐かしい(笑)。

 

ミ「同時にオシャレにも目覚めて。慣れないヘアセットでデーモン閣下みたいにツンツンにして、また同級生からイジられました。」

 

-思春期におけるテレビの影響の大きさを実感するエピソードですね。その後の進路は?

 

ミ「『爆笑オンエアバトル』などのお笑い番組の影響で、当初は某専門学校のお笑いコースに行こうとしていましたが、親から反対されたので大学に進学しました。そこで同級生Kの誘いでお笑いサークルの新歓ライブを観に行ったらまあまあ酷い内容で。でもなぜか彼らの姿がカッコイイと思えて、自分達もそのサークルに入ることになりました。」

 

-クオリティは高くなくてもお笑いへの情熱が伝わってきたんですね。

 

ミ「しかもそのKとコンビを組んで4年間活動しました。」

 

-4年間も!?途中で休止も解散もせずに駆け抜けたなんてすごいですね!

 

ミ「相方がとにかく熱い奴で、僕はそれに引っ張られていましたね。テレビ番組主催の大学生芸人のコンテストで決勝に進んで、一時期名前が有名になったこともありました。」

 

-それが2人でプロを目指すきっかけになったんですね。

 

ミ「大学卒業後に2人で某お笑い養成所に入ったのですが、僕だけ自己都合で2ヶ月で辞めてしまって。相方もその後辞めて、数ヶ月後に再会して2人でまた別の養成所に入ることにしました。」

 

-謎の回り道でしたね(汗)。でもそのおかげで2013年春、ついに現シノノメの2人が同じ学び舎に集うことになりました。

 

伊「入学直後は同期100人くらいと一緒に授業を受けていましたが、一ヶ月後に僕がAクラス、ミヤンスがBクラスに振り分けられました。」

 

-イケメン組とブサメン組に?

 

ミ「違う違う違う違う!確かにうちのクラスは荒いの多かったけど!」

 

伊「ミヤンスとはクラスが違ったこともあって在学中はほとんど話したことはなかったですね。飲み会にも来ないし。」

 

ミ「当時の相方がめちゃくちゃ真面目で、授業終わりに毎回反省会をしたがるんですよ。『あそこ発言できなかったな』とか。そのせいで飲み会に行けなくて、結果クラスで浮くという(苦笑)。」

 

伊「俺は逆に、よくご飯食べたり酒飲んだり朝まで麻雀したりしてましたね。」

 

-コンビ水入らずの時間も大事ですけど横の繋がりも大事な業界ですからね。経験者であるミヤンスのコンビは最初から高評価だったんですよね?

 

伊「いいえ。クラスが分かれる前、ミヤンスのコンビがみんなの前で漫才をやったことがあるのですが、ある作家に『みんな絶対にこんな風になるなよ』と褒められるどころか反面教師扱いされていました。」

 

-えっ!?

 

ミ「初心者と比べると技術はあったのかもしれませんが、設定がベタだったからです。」

 

伊「いかに早く世に出るかを大事にしている方だったんですよ。いろんな方針の作家がいましたが、その方の前ではとにかく新しいことをやらないといけなかった。でもミヤンスが経験者であることは間違いないので『こいつらには負けたくない』という意識は常にありましたね。」

 

ミ「伊藤のコンビは学内ライブ(年に数回、作家やマネージャーに審査される催し)では毎回上位でしたね。偶然なのか上位はAクラスが独占していて。そのせいでクラス間のバチバチがありましたね。客を入れて開催した卒業ライブでは逆にBクラスが上位だったのでリベンジできましたけど。」

 

-Aクラスは玄人ウケ、Bクラスは客ウケするタイプの芸人が集まっていたんですかね(笑)。

 

ミ「そして入学から1年半後の最終判定を経て、30数組の中から伊藤のコンビと僕のコンビを含む7組が事務所仮所属になりました。」

 

-おめでとうございます!

 

伊「それからやっとミヤンスとまともに交流が始まったんですよ。」

 

ミ「事務所の手伝いとかまとめて行かされますからね。」

 

伊「合同ライブもやりましたし。そこで初めてミヤンスが変人だと気付きました。当時のミヤンスの相方に『あのキャラ活かした方がいいよ』と進言したのを覚えています。」

 

-その後それぞれのコンビが相次いで解散し、ついに2人が組むことになるんですよね。きっかけは?

 

ミ「養成所の手伝いに行った時、他がコンビで来ている中で僕と伊藤だけが余っていたので、マネージャーに『お前ら組む相手いないなら組めば?』言われたのがきっかけです。でもお互い前のコンビでツッコミ担当だったし、それほど仲良くなかったので組んでいいのか迷っていましたね。」

 

伊「僕は当時、所属できなかった何人かの同期から誘いを受けていたんです。でもあまり面白い奴がいなくて。かと言ってピンもキツいし。最後はマネージャーの一押しでしたね。『とりあえず2人でネタを作って来なさい』って。2~3回ネタ見せに行ったらシノノメとしてあっさり仮所属が決まりました。」

 

-マネージャーが仲人であり恩人だったんですね。コンビ名の由来は?

 

ミ「響きの良さで僕が決めました。」

 

伊「ある日先輩から『シノノメの伊藤じゃん』と言われて、そこで初めて自覚しました。ミヤンスが勝手に広めていたみたいで。『じゃあそれでいいや』って。」

 

-承諾得てなかったんかい!でもカタカナの字面もさっぱりした響きも2人の雰囲気に合っている気がします。その後事務所から仕事を振られるようになるわけですが、今までで一番印象的な仕事は?

 

ミ「某テレビ局の夏のイベントで、年末の人気番組を来場者が体験できるブースで2年連続でやらせていただいた仕事です。多い日は1日10ステージやったこともあります。」

 

伊「ミヤンスの安藤美姫さんのモノマネがプロデューサーにドハマりして。バイトの夜勤明けのまま現場に行ったりして大変な日もありましたが、初めて勝ち取ったお笑いの仕事なのでとにかく楽しみました。」

 

-大変なスケジュールを若さと情熱で乗り切ったんですね。そして2016年9月、某コンビの紹介でいよいよオモロ食堂®シリーズに初出演します。第一印象はいかがでしたか?

 

ミ「リハーサルが丁寧なことに驚きました。本番中のハプニングが少ないのはそのおかげですよね。」

 

伊「最初は独特な雰囲気だと思いましたね。お客様にドリンクを配るところとか職人とスタッフで集合写真を撮るところとか。」

 

ミ「そんなライブ他にあんまりないもんな。しっかりきっちりしたライブだと思います。」

 

伊「お客様へのおもてなしの精神が強いライブなので、リピートしてくださるお客様が多いんでしょうね。」

 

-ありがとうございます。主催者の印象はいかがでしたか?

 

伊「最初はクセが強い人だなと。めっちゃ前に出てくるし(笑)。」

 

ミ「それは今も変わってないですよ。こんな主催者いないだろ(笑)。」

 

伊「近寄り難い怖い人だったらどうしようと思っていましたが、関係者数人と食事に行った時に『変な人だけどお笑いに熱い人』だと分かりました。悪い人ではなかった(笑)。」

 

ミ「だからこそ今も出演させていただいています。」

 

-ありがとうございます。そして初出演から5年半が経った先月のベストライブ『超オモロ食堂®四号店』で初優勝を飾ります。優勝は本店(部門別で優勝を決めるライブ)を含めシリーズを通して初でしたね。

 

伊「ありがたいです。ネタ合わせをしていて他の出演者のネタをほとんど観ていなかったので、相対的に自分達がどれくらいウケたのか分からなかったんです。」

 

ミ「めっちゃ手応えがあったわけじゃないんですよ。でも今回の優勝が自信になりました。」 -賞金の2万円はどう使いましたか?

 

伊「日向坂46に貢ぎました。」

 

ミ「年金に消えました。」

 

-使途は別にして、すぐに有効活用していただけて何よりです(笑)。今後の目標は?

 

伊「もちろん『超オモロ食堂®』2連覇です!」

 

ミ「スケジュールが合えばぜひ!」

 

-9月開催予定の『五号店』に早くもエントリーありがとうございます。

 

ミ「あとバイトを少しずつ減らして、一日も早くお笑いの収入だけで食べていきたいです。」

 

伊「どんな形でもいいので売れたいです。仕事を選べる立場でもないので(苦笑)。」

 

-事務所の方が見てくださっているといいですね。最後に読者の皆様にメッセージをお願いいたします。

 

ミ「YouTubeきっかけでもラジオきっかけでもいいのでシノノメに興味を持ってほしいです。」

 

伊「とにかくライブに来てほしいです。他にも楽しい職人がたくさんいるので。」

 

-今後もコンビ仲良く頑張ってください。本日はありがとうございました。